ご   挨  拶



   日本看護学校協議会会長

   二葉看護学院学院長
   昭和19年卒業生  
               山 田 里 津
 
 
 日本赤十字社甲種救護看護婦生徒として名門山田赤十字看護婦養成所に入学致しました時、世の中は戦時体制でラジオは大本営発表戦争の喧噪で勝利の坩堝でございました。

 紫紺の制服に赤十字マークをつけキリッとしまった緊張の上級生を宮町駅や上□駅に日の丸で学生一同お送りしたことはいくたびか。

 同じ年頃の少年飛行兵がお母さん、お母さんと病床でふとんに顔を埋めてすすり泣くのを私はたまらなかった。

 やがて終戦を迎え先輩の方々が復員されまして平和の幸せをじっくりかみしめることが出来ました。

 まもなくGHQの指令で全国都道府県に看護行政職の設置となり三重県では当然のように日赤に白羽の矢が、そして私が赴任することになりました。

 その頃の日本では女性が県の管理職に就任することは例外中の例外で注目される立場に立たされたのでこざいます。

 指導ナースはミス・フェリーと申しまして立派な方でございました。このときから新しい日本の新しい看護への道が出発したのでございます。
 
 全国各県の看護行政に当たった人の大半が赤十字出身者でしたから、日本の看護を今に作り上げたのは日本赤十字社なのでございます。

 戦時平時を問わず博愛の精神は世界の人々の幸せを求めつづけてまいったのでございます。60年の看護学看護への蛍雪は私の人生でもあり、わが国の看護の歴史でございました。

 「病人を診ずして病気を診る勿れ」ウイリアム・オスラーのことばはまさに日赤精神であり、博愛とは1人の人間を全人的に理解することであり、生命への畏敬人格の尊重であることは云うまでもありません。

 ペスタロッチは「技能は徳と感性の基礎である」といいますが看護専門職の技術を学ぶ、実践することにより、人間性豊かな鋭い感性と直感力が育まれると考えます。
 
 看護師の養成は学者や研究者でなく、真に病む人々への理解者であり、生活のすべてにおいて信頼される支援のできる人間看護の専門家の育成でなければなりません。

 私は看護学は生命を育む学問、医学は生命を衛る学問と授けております。

 このことは赤十字で教えて頂いた原点となっております。すべての植物は上へ上へと伸び、光の方へと向かいます。生命の力です。

 物質の力は下向的静止的で伸びる力は伴いません。生物は命を持っている限りにおいて天に向ってのびます。山田赤十字看護専門学校は永久不滅でございます。

 日赤で育まれた命の大切さを私も命のある限り若い世代の方々にお伝えしていく所存でございます。

 栄光ある長い歴史が閉じられる今日、改めて格調高く伝統と名誉ある実蹟を立てられ、発展に努力されました山田赤十字病院、山日赤十字看護専門学校の皆々様に卒業生を代表いたしまして、心から深く感謝を捧げまして御挨拶申し上げます。

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